darupen_darupenがただ好きなモノを語るだけのブログ(darupen_darupenがただコレクションを羅列するだけのブログ、改題)

当方が愛するこもごもをランダム且つ気まぐれに電脳の海の片隅でひっそりご紹介。のはずが何か違う。

俳優久保和彦氏。第三十二部(古巣帰還、1985)

以前も書き散らした話題ではあるが、まあ年表追跡中なのでいってみよう。
シャイダー終了翌年1985年初頭、座員昇格(※1)。同時並行でテレビ朝日ではなくTBSに軸足を移し(※2)、久保氏はテレビと舞台二足の草鞋状態で活動続投する。
舞台はアトリエの團十郎と音次郎(※3)及び外部出演のくたばれヤンキース(※4)のみだが、稽古や移動やとあれこれ考えると多分この2本で限界(※5)。
テレビは夏の終戦記念ドラマ(※6)、東芝日曜劇場(※7)。こちらは単発なのでまだ余裕があったかと思いたいが、舞台に忙殺されるなら多分こちらもこれが限界だったかと(※8)。
テレビ露出の基本が単発ドラマ現代もの、なるほど当方のアンテナにかからぬ筈である。刑事物時代劇特撮この辺に居ないのだから土台無理な話(※9)。
久保氏の情報を追っていて感じたのは、基本的に和物には食指を伸ばさなかったご様子。舞台のジャンルが洋モノに偏っている(※10)。岡部耕大先生の作品だけが例外で、この繋がりで精霊ながしの三郎はこの世に出たと考えて良い気がする(※11)。余程團十郎と音次郎で気に入られたか、と。そんなにサマになる壮士ぶりだったのか。まあガタイの良い色男だからなあ。

※1/郁恵ちゃんの旦那も同時期昇格。此方はこの時点で既に主演舞台マリウスをこなしている。ラガーやりながらこれやったのだから文句なくスゴい。認めざるを得ん。
※2/文学座はTBSにパイプを持っている。なのでそちらからお声が掛かっているのである。頑なに別局に出てないのは、実は本人の意向ではなく、所謂不可抗力ではなかったかと勘繰るほどにTBS一択である。
※3/1985.6.14-6.23上演。
※4/1985.12.7-12.22上演。サンシャイン劇場ニッポン放送江本孟紀氏主演。歌とダンスに相当苦戦した模様。殺陣と言いミュージカルと言いそんな無謀チャレンジばかりしてらっしゃるのかと。
※5/台本あわせやら通し稽古やらなんやらかんやらで2ヶ月は欲しかろう、と考える。その間隙を縫ってテレビ収録。
※6/そして戦争が終った、1985.8.26。
※7/精霊ながし、1985.9.27。
※8/舞台に立つのを念頭に置くならば、テレビドラマレギュラー出演とかとんでもない話だったのである。
※9/ここでナショナル劇場に来てくれていれば、多分分岐ルート発生だったかと。しかしながら和物には消極的であったらしいとなると詰み。
※10/それが本人の意向か否かは不明であるが、やったこともないミュージカルにまで投げ込まれた事を鑑みるに、あんまり本人の要望は関係なかったんではないかしらねえ、と親戚のおばはんみたく考えてしまう。根拠はない。
※11/精霊流し自体は複数回上演やら放送やらされてたりするんだが、ほぼおばあと静ちゃんの会話劇に終始する。この1985年版だけが異質なのである。あの三郎と言うキャラは、それこそ久保氏のために産み出されたもので、どんだけ優遇されたんだあの男前は。そりゃ主演ふたりについでクレジットされるわ台本。…根拠はない。