darupen_darupenがただ好きなモノを語るだけのブログ(darupen_darupenがただコレクションを羅列するだけのブログ、改題)

当方が愛するこもごもをランダム且つ気まぐれに電脳の海の片隅でひっそりご紹介。のはずが何か違う。

初春夜更けの独り言。

悪い人ではない、のは分かる。

芝居から身を引いて尚、40年以上も劇団関係者や作品関係者と繋がりを保っているのだから。(※1)

ただ、彼にとっては、ファンという存在は重要性が低いというか、要らないのだ。(※2)

演劇に社会的な役割を求めた彼には、観客を喜ばせる芝居、ファンを獲得、名を売る等と言う概念はさぞかし陳腐なものに映っていただろうことは想像に難くない。実にリアルシング(1986)の辺りまで、演劇の娯楽性に目を向けていなかった節があるのだ。(※3)

テレビドラマにもかなり出演していた師匠江守徹氏だ、彼のその一途な危うさには気づいてらした、だろう。だからこそ自分の手元でとにかく挑戦をさせたのだ。そう考えるとミュージカル抜擢もしっくり来る。(※4)

彼が「徹」と親しく呼んだ俳優とは、売れたい、稼ぎたいと言う欲求も含めて、抱いていたものが全く異質であるのは此の生真面目さ、ゆえなのだろうなあ。(※5)

 

※1/チームフーマとの繋がりは言うに及ばず、文学座の先輩同期後輩が泊まりに来る環境。文学座退座が88年12月なので、其処を起点にしても36年仲が良い。研究所所属から数えるなら実に44年。

※2/咄嗟の場面で他人の振りをするのは無論のこと、その後國米氏との会話で当方のことを「マニア」と呼称したのがいよいよその推測を強固にする。自分のことが好きで声を掛けてくるファンがいる、という思考が端から欠落しているのである。つまり彼的には、当方は特撮マニアだから演者たる己に声を掛けた、と言う認識でしかない。

※3/その娯楽性故に演劇は社会的な役割を果たすツールとなり得る、のだが、どうも、彼にはその側面は取るに足らぬものだったらしい。

※4/下手をすると、本人が一番黒歴史と認識している唯一のレギュラー配役も、師匠の肝いり、なのやも知れん。殺陣は素人な彼があの役についたのは、勿論演技力の高さもあるのだろうが、劇団側のプッシュがあったとすれば、それもまた、辻褄は合うのである。

※5/同期にして七曲署に勤務し、舞台マリウスで主役を張って、話術も司会術もナレーション術も磨き、彼より7歳も若い歳で彼岸を渡った国民的俳優を、彼は今尚、何の気負いもなく、徹、と呼ぶ。