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当方が愛するこもごもをランダム且つ気まぐれに電脳の海の片隅でひっそりご紹介。のはずが何か違う。

俳優久保和彦氏。第四十三部(深夜にようこそ第4話その2)

 

さて。シナリオと逐一つきあわせてみた。

シャイダーの時は全く一言一句違わず再現していた科白回しであったが、今回はかなり様子が違う。

細かいやり取りが削られ、結果として話運びのテンポが上がっている。本人の演技プラン云々と言うよりは、演出上の変更と見るべきか。

それに付帯して、台詞に乗せる感情にかなりの変更が加えられている。

シナリオでは一貫して、少し斜に構えた、何処か小馬鹿にしたような、理屈っぽい落ち着いた物言いをする青年Cは、久保氏により、日々のやりきれなさを何とか自分の中で誤魔化しながらやり過ごす、ずいぶんと大人な男ではあるけれど、ごくごく普通な若者として描写されたのだ。「大したことじゃないじゃない、そう思うなあ」の一言に、俺たちだってそんなこたわかってんだよだけどどうしようもないんだよそんぐらい分かれよこんちくしょう、の焦燥感、諦め、苛立ちを乗せてきたのである。

これにより、サニー千葉の落ち着いた、しかし有無を言わせぬ説得力のある科白回しがより際立つ構図となった。シナリオのイメージそのままやると、落ち着いた同士の言い合いになって、メリハリに欠けるのだ。

此の撮影に、どれだけの時間を割けたのか分からない。が、サニー千葉のスケジュール自体、そんなに余裕はない筈なのだ。とするなら、かなり圧している時間の中で、それだけの演技プランを瞬時に組み立て、演出の意図に沿うと言うのは。

新劇界の東大、其処に所属するだけの事はある、見事な芝居だと、感嘆するのみである。

なお、此のシーンの最後、サニー千葉との対峙が、時の氏神たるトボけた客の来訪のおかげで強制終了する。その緊張からの解放を、久保氏は小さな肩の上下で表現しており、あんな一瞬の演技、録画でもしてない限り誰が見るねんレベルの繊細なもの。

そんな演技が出来る役者に、手ぬるい征伐有るのみ!みたいな脳筋演技を△は要求したのであり、そしてまた、それに見事に久保氏は応えたのである。なるほど、此方の演技が本来のものだとすれば、そりゃあの一年はオーバーアクトでなければ乗りきれない。(※)

 

※/そして、そりゃ黒歴史認定も宜なる、かな。あんまりにも得意とする演技と温度差がありすぎる。