いやはや今更ながらとんでもない。
ブラウン管でお見かけしてから以来39年、手に入るのはシャイダー関連か文学座関連であるから、88年12月以降の久保和彦氏は供給がなかったわけで、其処を力技で補完していたのが拙い落書きだったのである。恥ずかしながらマジで39年描き続けている。
その39年分のリビドーを、たった4枚のお写真で、ホントに数分で、いとも簡単に昇華させてしまう本物の威力よ。
何を描こうが本物には敵わない。全ては花見のお写真で事足りる。
今や、自分には落書きをする意味すらなくなったのである。ファンだと公言する意味も、多分ない。黙ってお姿を見ていればもうそれで良い。
モチベがフラットになる感覚は、人生で初めてなだけに、少し、もて余している。